進 よしかず
昭和44年4月2日、佐賀県に生まれる。
柞原神社の大分市上八幡で育ち、八幡幼稚園、大分大学教育学部附属小・中学校へ入学。大分県の合同選抜により大分県立大分東高等学校へ入学し、ハンドボールに打ち込む。最高位は大分県高等学校総合体育大会にて準優勝。生徒会においても書記長を務める。
「何か人のために役に立つことをしたい!」との思いから大分市消防局へ入局。
阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、大分市の姫岳での山火事、大規模工場火災、多数傷病者事故、台風による自然災害等を経験し、2020年3月、32年間奉職した大分市消防局を退職する。
仕事も、遊びも一生懸命。
小学生の頃聞いたファンクバンドの影響を受け洋楽にはまり、レコードの所有は6000枚ほど。
趣味で始めたスキーもインストラクターの資格までの腕前。
大分県内では資格を数名しか持たないA級検定員資格も修得。
退職後は会社員をしながら新型コロナウイルスによる対策支援のため、日々汗をかいている。
現在、51歳。妻と娘と暮らしている。
(長男は東京で大学院生)
座右の銘:有言実行・ありがとうの気持ちと感謝のこころ
趣 味:スキー・音楽鑑賞
昭和44年 4月2日 | 父親の転勤先である佐賀県に産声をあげる |
昭和48年 | 父親の転職により母親の実家大分市へ |
昭和50年 | 大分市立八幡幼稚園に入園 |
昭和51年 | 従兄弟の兄を追いかけ、大分大学教育学部附属小学校へ入学する。 |
昭和53年 | 大分市上八幡地区公設水道敷設が完了する。政治の偉大さを知る。 |
昭和57年 | 大分大学教育学部附属中学校入学。往復約1時間半の坂道を毎日自転車で通う。 生徒会役員や体育祭で応援団長を務める |
昭和60年 | 四校(上野・舞鶴・鶴崎・東)合同選抜により、大分県立大分東高等学校へ入学。 ハンドボールに打ち込み、大分県高等学校総合体育大会にて準優勝する。 生徒会で役員を務める。この頃から政治家は無理でも、何か人の役に立つ仕事をしたいと考え始める。 |
昭和63年 | 大分市消防局入局 大分県消防学校初任科にて16人の県内の消防本部の同期たちと半年間、座学や壮絶な消防訓練を行う。 |
〜 | 消防局本部、各消防署にて救助(レスキュー)隊、消防隊、救急隊、火災調査事務、消防団事務、予防査察、消防用設備設置指導、違反処理、通信指令(119番)等の担当を歴任する。 阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、大分市の姫岳での山火事、大規模工場火災、多数傷病者事故、台風による自然災害等を経験。 |
平成22年 | 総務省消防庁消防大学校専科教育へ入学し、全国の消防の仲間たちと東京都三鷹にて共同生活を送る。 同期のおかげで首席にて卒業する。 |
平成23年 | 消防局本部警防課で大規模、広域的な災害における消防力整備を行う。また東日本大震災発災時、大分県緊急消防援助隊の後方支援本部にて活動を行う。自然災害の脅威を改めて思い知らされる。 |
平成27年 | 消防局本部総務課で地域防災の要である消防団の処遇改善や組織環境整備を行う。 この頃、子供の頃の思いもあり「もっと人に役に立つことをしたい。」と政治の道を目指すことを考え始める。 |
平成28年 | 熊本地震において、大分県庁へ大分市消防局リエゾンとして派遣される。 消防、警察、自衛隊との連携の大切さを改めて感じ |
令和2年 3月31日 | 32年間奉職した大分市消防局を退職 最終職責:大分市東消防署警防司令(大隊長) |
令和2年4月〜 | 会社員勤めをしながら政治活動を開始する。 |